SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

03
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

hi-bo.capsule-design.net

24時間、調剤漬けの薬剤師。その思考履歴。
「お知らせ」
0
     今度の年末年始に本業の移転を控え話し合いや手続きなんかで、毎日飛んだり跳ねたりしながら仕事をしてきました。同一の建物に他業種の方と同時に入ることになり、事が複雑化しています。

     さすがに忙しすぎるので、ブログの定期的な更新を中止致します。

     友人はもとより、海外の見知らぬ方からも応援して頂いた事に感謝いたしております。また機会があればいろいろとでたらめな事を書いていきたいと思います。

     カプセルチューブの方は引き続き継続していきます!

     今後ともよろしくお願い致します。
    | diary | 13:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    「今週は休刊です。」
    0
      今週はお休みします。
      | diary | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      「冴えない」
      0


        「脳が冴える15の習慣」築山節(著)

         著者は脳外科医です。本書は『多くの現代人がいつの間にか脳の力を衰えさせているとき、欠けているのはたいていの場合、ごく基本的な事で、それを回復させる為に必要なのは、気が向いたときに「脳トレ」を行うことよりも、その「ごく基本的な事」を生活に取り入れる事』というような主旨で書かれています。本書の第4章に『家事こそ「脳トレ」。雑用を積極的にこなそう』という章があるんですが、そこの「面倒くささに耐える力」という所に、『脳の基礎体力は、日常的な雑用を面倒くさがらずにかたずける事で鍛えられる。』とありました。脳を鍛える時に重要な部分は脳の司令塔である「前頭葉」で、巷の「脳トレ」はほとんどココを鍛える事に主眼が置かれているモノが多いそうです。「前頭葉」は入ってきた情報を、自分の記憶と組み合わせて、思考や行動を組み立てる場所です。その「前頭葉」の力が無いと、いくら知識があってもそれを使って合理的な事ができないようです。そして、その「脳の司令塔」には持久力が求められていて、例えばサッカーの試合でいうと90分の間で数分だけ司令塔として働くのではなく、90分働き続けなければいけない。司令塔としての持久力を鍛える為に、「面倒くささに耐える」というのが重要だそうです。その辺りについて、自分なりに考えていたときに、「面倒なこと」を極端に嫌う自分に気付きました。
         このブログを去年の8月1日に開始しました。最初のタイトルは「ルーチンワーク」です。業務の様々な面を機械やソフトに任せても、人でなければできない事もいろいろあって、自分なりに業務の効率化を日々なんとなく悩んでいた頃にブログを始めました。
         業務の効率化を考えることは非常に重要な事です。業務の効率化は経済的な効果を産みます。効率化がお金を産むと表現してもいいかもしれない。人の手間を抑える為にとにかく機械で!という姿勢を数年続けていました。しかし、そこになんとなく自分の中で引っかかりがありました。その引っかかりがいまいち掴めなかった。それで悩んでたような気がする。
         その辺りの事について、本書を読んでいてなんとなくわかった事があります。「効率化」という事が「面倒な事をしたくない。」と逃げ回る結果、出て来ているだけじゃないかという事です。私は「業務のIT化」を単に「面倒な事から逃避する為だけ」に叫ぶ事があります。「面倒からの逃避エネルギー」を「業務の効率化」を考える為の「ガソリン」として使って来たような所がある。「業務の効率化」と書かれた旗を振り回して、単に面倒な事から全力で逃げ続けていただけかもしれんな〜と思うようになりました。本当の自分は逃げ回っているだけなのに、表向きには「効率化」という「建設的な事をしてるんだよ。」という振りをしているから、「なんとなく引っかかる」原因になっていたのかもしれない。
         その辺りのバランスはとても大切だと思います。「業務の効率化」はかなり重要です。でもそれが面倒なことから逃げる為だけに行われるとバランスを失います。
         そういった事に気付くきっかけになったのが、「業務の効率化」を考える上ではジャンルがまったく違うのですが、本書でした。
         本書の意図する方向とは全然違う事ですが、今までぼんやりとして「冴えなかった」部分の輪郭が見えてきたように思います。

         −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

         次回は、「三日坊主」です。

         −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

        〜 本日の「ポジティブに生きる!」 〜

        「落ちたら痛いよ。」
        | diary | 05:23 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
        「『解無し』が答え」
        0
           時々、大学入試でミス問題が出題されてます。もちろんあってはいけない事ですが、入試という性格上、秘密裏(?)に作成されるモノなのでそれをチェックする人も限られてくるだろうし、まあ起こりえる事だと思います。

           ミス問題が出ると大体その問題は「全員正解」扱いで採点されるようです。ただ、数学の問題で正答が無いモノ(記述式)に関して、「解無し」と答えている人がいるんじゃないかとよけいな心配をしてしまう。「全員正解」の中に、きちんと「解無し」と答えた人がいるかもしれない。「解無し」とした人がその問題に時間をかけて他の問題がおろそかになってたら、「全員正解」という配慮が「逆効果になってないか?」等と考えてしまいます。「全員正解」プラス、「解無し」を見破った人には「プラスαをする」の方がいいんじゃないか?とかね。

           実際の社会では、くっきりとした「解」が存在するモノの方が少ない。いろんな解決方法があるモノも「解無し」の一つじゃないかと思う。例えば、「ダイエットの方法」。リスクも無く、万人に通用するような方法があればみんなそれをやってるはずですが、「ダイエット法」は山のように存在します。もちろん、「摂取するカロリーよりも、利用するカロリーを多くする」という原則に沿う事をすれば誰でも痩せれられるという事になるんだろうが、それは「ダイエットの原理」であって、「ダイエットの方法」とは言わない。

           ダイエットの原理に沿った方法であればなんでもいい!→方法がありすぎる!→具体的な方法が欲しい!→山のようにある方法の中から何か一つを試してみる!→ダメだった!→でも、他にも山のように方法はある!→何か一つを試してみる!→ダメだった!→でも、他にも山のように方法はある!→何か一つを試してみる!→ダメだった!→……
           ゴールへの選択肢が多すぎると、逆にゴールへ辿り着きにくくなるんじゃないだろうか?例えばダイエットの方法が、極端な話「たった一つ」しかなければそれを試すしかない。完全にあきらめるまでは、繰り返しそれを試そうとするんじゃないだろうか?

           話は変わりますが、ポータルサイトには、よく「今日の占い」みたいなモノが掲載されています。私もなんとなく気になって見てます。「今日は人の話を良く聞きましょう。」とか、「今日はネットで情報が得られます」とか、「今日はちょっとしたミスに気を付けて」等です。「今日一日」の生き方というか、そこまで大げさに言わなくても「今日一日」の過ごし方というのは、山のように選択肢があります。「今日の過ごし方」に「解無し」です。そこで例えば、「ちょっとしたミスに気を付けて」という事を頭に置いて過ごすというのは、今日の過ごし方の「解」じゃないけど、選択肢が多すぎて結局なにもできないのならそれは、今日の過ごし方の「解」に少しだけ近いのかもしれない。

           なんとなく「解」を見つけられない事と、「解無し」が答えだと理解した事って、「全員正解」ではくくれないよね。そこには、大きく差がある。「解無し」が答えだと理解する事が、行動する上での指針になる事があるかも。

           −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

           次回は、「時間管理」です。

           −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

          〜 本日の「ポジティブに生きる!」 〜

          「顔まで似てる気がする。」
          | diary | 05:40 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
          今週はお休みします
          0
            永眠した親友が天国で幸せに暮らせますように。
            | diary | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            「ピタゴラスイッチの人」
            0
               「面白いモノ」はなんでも好きです。「面白いモノ」と言っても、それは人によっても違うと思います。クスッと笑えるものから、大笑いするもの、さらに大爆笑してしまうモノまで、「面白いモノ」の種類は様々です。「A」と「B」という人がいて、「A」という人が笑ったから、「B」が必ず笑うとも限りません。その人それぞれに反応のランクがあると思います。「A」のランキング、「B」のランキングと言った感じです。

               反応のランクを昇順に並べると、クスッと笑う大笑い大爆笑…等と表現できると思います。そしてその先にある面白さを言い表す言葉が浮かびません。そこで、その「大爆笑」の先にある面白さを表現する言葉を仮に「なんか面白い」とします。「面白いモノ」の中での最高ランクが「なんか面白い」です。「なんか面白い」モノには、もはや笑いすら起こりません。観たり聞いたりしただけで、その対象に巻き込まれ、引き込まれてしまう。心を奪われる。そして笑うことはなく「すごい!すごい!」と思う。本当に面白いものに出会った時に感じる感覚は「すごい!」です。笑いがないのなら、大爆笑の次に来るのはおかしいのではないか、と言われそうですが以下の話を進める上で「なんか面白い」の定義を勝手にこういう感じにします。

               佐藤雅彦教授の作るものは、私にとって「なんか面白い」です。多くの人にとってもそうだと思います。NHKの「ピタゴラスイッチ」という番組をご存じですか?

               一番初めにこれを観たときは声を上げて喜びました。今でもやっているので百聞は一見にしかずです。観ていただくのが一番良いと思います。私のブログで良く引用させてもらう脳科学者−茂木健一郎氏の著書「やわらか脳」のなかで「ピタゴラスイッチ」について触れられている所があります、著者はたまたま「ピタゴラスイッチ」を観て、その中のコーナー「アルゴリズム行進」に感激していました。私も「ピタゴラスイッチ」の中では非常に秀逸なコーナーだと思います。口での説明は難しいです。(ぜひ→コチラをクリック)これは航空会社の人とやっています。結構真面目な職業の方と一緒にやっている事が多く、(消防署の職員とか…)そのシュールさがたまりません。
               人によって様々だと思いますが、漫才や落語、コント等で非常に面白い「大爆笑」するモノがあったとします。私が思うに、「大爆笑」ネタは1回目はすごく面白いです。2回目もそこそこ。しかし繰り返し観ていると、だんだん笑いの再現性が低くなってきます。刺激性の強い笑いです。何度も観ていると笑いの再現性が下がってくる、なんかこの感じは「すごい手品」を観たときと同じような感じ。「ああ、これ観た」となるとそんなに面白くなくなる。その点、「なんか面白い」クラスの面白さになると笑いの再現性が高く、何度観ても納得します。特にこれは何度も目にする事になるCMなんかですごく重要だと思います。何回観ても「なんか面白い」。

              「バザールでござ〜る。」
              「ポリンキー、ポリンキー」
              「ドンタコスったら、ドンタコス。…」


               CMには意外としっかり目を通す方です。刺激的で、いわゆるクールなCMが最近多いです。しかしCMプランナー時代の佐藤教授の作った上のようなCMは「なんか面白い」。今観ても新鮮だと思います。

               前回も書きましたが、さらにあの「だんご三兄弟」やら、ゲーム「I.Q 〜intelligent qube〜」も佐藤教授です。本当にすごい方だと思います。著書もたくさんあって、


              「四国はどこまで入れ換え可能か」

              「経済ってそういうことだったのか会議」

               上の本はショートコミックです。クスクス笑いができます。タイトルにもなっている部分では、「四国」を「あるもの」と見事に入れ換えています。竹中平蔵氏のあの経済の本も佐藤教授と共著です。

               「なんか面白い」モノ、私も死ぬまでにひとつぐらい作ってみたいもんです。

               −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

               次回は、「世界征服は可能か?」です。

               −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


              〜 本日の「ポジティブに生きる!」 〜

              「俺にも、壁がすごい事はわかるけど。」
              | diary | 07:31 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
              「飛行艇時代」
              0





                 「飛行艇」(ひこうてい)です。「機」じゃなくて「艇」です。引用して並べただけです。なぜか「宮崎駿」っぽくなります。3つめは「紅の豚」の飛行艇のモデルです。

                 「飛行艇」は水上や海上で離着水できる、「船」に翼がついたような飛行機です。胴体が船の形をしている。だから、大きいモノになるとなんとなくクジラが空を飛んでいるようなやさしい感じになる。宮崎駿作品に出てくる飛行機はほとんど「飛行艇」もしくはそのような形をしてます。「紅の豚」は原作として描いた漫画が、「飛行艇時代」というものです。原作も読みましたが映画になっているものと話も全く同じでした。ちなみに「風の谷のナウシカ」は全然違います。
                 
                 「紅の豚」では空中での戦闘シーンもあります。なんとなく飛行艇の「やさしさ」で、「空中で撃ち合い」をしているのに、年齢を選んでない作品になっていると思う。ただ、トトロ的な作品と比べると明らかに対象年齢(作品をみて喜ぶ年齢)は上だと思います。宮崎駿本人もいささか趣味に走りすぎたと言ってるようです。

                 「紅の豚」について改めて考えると、主人公はブタです。宮崎駿が「飛行艇乗りのブタ。をプロデュース」すると、なんの違和感もなく格好良くなります。かなりキザなブタですが、不自然さを感じません。彼がブタであることを劇中に忘れます。さらにタイトル的には「ブタ」ではなく漢字の「豚」です。漢字だとさらに「ブタ」らしさが増しますが、それでも不思議と格好いい。


                「飛ばねぇブタは、ただのブタだ」

                 前回も書いたように、宮崎駿的な機器は理屈を全く無視したものじゃないです。宮崎駿の実家が飛行機工場だったというのを知って、納得いったところがいくつもあります。「紅の豚」主人公のポルコが馴染みの飛行機工場「ピッコロ社」で飛行艇を修理するシーンなんかは、飛行艇が「家内制手工業」的に作られるのが面白いです。お母さんたちが、「弁当」でも作るようにバタバタと飛行艇を作っているのが楽しい。この辺りの発想は現場に居た人じゃないとなかなか難しいと思う。こういうところが、宮崎駿っぽい。ただ楽しいという視点だけじゃなく、戦争時代に似たような経験をしたという視点でみるとまた違ってくる。



                 そう言えば、宮崎駿の作品って出てくる人が飛ぶのが多い。「ナウシカ」も「魔女の宅急便」も「ラピュタ」なんかも。もし、宮崎駿の実家が飛行機工場じゃなかったら、自由自在に空を飛び回る作風が違う感じになったかもしれない。

                 勝手にいろいろと書きました。宮崎駿作品については機会があればまた書きたいです。

                 
                 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                 次回は、「ホイチョイのブレーン達が問う」です。

                 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                〜 本日の「ポジティブに生きる!」 〜

                「自然に出来てきたって事?」
                | diary | 06:50 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
                「インビジブル・ショッピング」
                0
                   あのKDDIが9月29日より「DVD Burning」というサービスを開始したようです。簡単に書くとDVDのデータをダウンロード購入し、それを自分のパソコンでDVDに焼いて仕上げる。(DVD Burning)そしてそれをパソコンやリビングで見るというモノです。データを購入するだけなので、もちろんそのままDVDを買うよりは安いようです。ダウンロード購入の部類では比較的新しい方法だと思います。
                   音楽、本、ソフトウェアなどダウンロードだけで買えるモノが増えて来ました。しかし、それには自ずと限界があります。ダウンロードできるのは、「データ」だけです。せいぜいジャケットの画像が付いてくる程度です。

                   なにか熱狂的に好きな歌手やグループがあるわけではありませんが、並に音楽には興味を持ってます。初めて音楽に興味が沸いたのは小学校の頃だと思います。テレビから流れるアニメの主題歌を「ラジカセ」でカセットテープに「生録」していました。外付けマイク等の洒落たモノもなく、また直接接続するような知恵もなかったので、テレビの音量を上げて「ラジカセ」をその横に置いて「生録」してました。それより、少し年齢が上がるとラジオの音楽番組を録音するという知恵がついてきて、それを録音していました。音楽に関わる初めての買い物は「レコード」です。多分、渡辺美里のレコードが初めてだったと思います。まだCDは普及していませんでした。そのころ「アルバム」はカセットテープでも出ていました。友人が買ったチェッカーズのカセットテープアルバムをダビングさせてもらったりしていました。
                   録音の媒体もカセットテープが次第にMD(ミニディスク)になり、そしてそのMDも市場から消えようとしています。現在はプレーヤーそのものに小さなハードディスクやシリコンディスク等の記憶媒体が備わってます。そういったモノは少し前からありましたが、現在のモノは大幅に記憶容量が増えてます。最大で40000曲録音可能などというのもあります。

                   KDDIの「auブランド」で2004年にサービスを開始した「着うたフル」。「フル」というのは、もともとあった「着うた」というサービス(サビ部分だけの小さいデータだった)との差別化で、「一曲まるごとです。」と言う意味の"Full"と音楽データが空から?「降る」(ダウンロードする)という意味をかけているのだろうとCMを見て勝手に考えました。
                   「初めて買ったレコードは?」という言葉は、悲しいですが「死語」になりつつあります。はじめて買った音楽が、「着うたフル」のダウンロード購入だったという中高生も多いのじゃないだろうか?カセットテープもMDも使ったことないという人達もたくさんいると思います。iPodや携帯電話で音楽を楽しんでいる世代です。
                   はじめて買った音楽が、「着うたフル」でない私は、ダウンロード購入が「実体」を伴わないことに少しばかり寂しさを覚えます。かつて、自分のカセットテープやMDには凝ったラベルを付けたりもしていました。ベスト盤を勝手に作ったりしていた。レコードはジャケットが見えるようにして置いていた。録音媒体は「音楽を録音する場所」だというだけでなく、目に見えない音楽を「実体」として感じさせてくれるものです。データだけでは感じることのできない「ぬくもり」を覚える事ができます。学生がiPodや携帯電話をシールやキラキラしたビーズのようなモノを使ってデコレーションしているのも、「自己表現している」ということ以外に、冷たい電子機器を自分の物として実感する為の手段なのだろうと思います。

                   ダウンロード購入がどれだけ進化しても、まだしばらくは実体のある本や、CD、DVD等のメディアは無くならないと思います。団塊世代の影響でむしろレコードなんかは復活の兆しを見せてます。進歩する技術の方向と、現代を生きる生身の人間が望んでいる方向は、必ずしも一致しないもんです。どんなに技術が進んでも、生身の人間が真に望んでいるモノは、いろんな意味で「あたたかい」モノのようです。


                   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                   次回は、「望んでいる方向への言い訳」です。

                   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                  〜 本日の「ポジティブに生きる!」 〜

                  「この高さだからな。」
                  | diary | 06:58 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
                  「ホンダ。をプロデュース」
                  0
                     中学の時からの友人で未だに電話で話をするのは、ホンダぐらいです。

                     小学校のとき、ホンダのあだ名は「ぽんちゃん」だったらしく、中学校からは略して「ぽんち」とよばれてました。呼んでも返事がないときは、これを逆からいうとだいたいリアクションが帰ってきます。

                     彼は現在、県外でドクターとして活躍してます。20年近く知っているので、おそらく間違いないと思いますが、彼は非常にまじめな人間です。しかし、まじめな話はほとんどしません。電話があると必ず「(女性を)誰か紹介してくれ。」と言います。彼は独身です。私も彼も、マリナーズのイチローも今年で34歳です。もう、大人しくしていないといけません。だんだん、クーラーにも弱くなって来てます。若い女の子が、ちょっと怖いです。

                     私はそんな彼の真剣な顔を見たことがあります。彼はすごく将棋が強いんです。地元の新聞に顔写真付きで載ったりしてました。私は駒の動かし方を知っているだけだったので、先の先まで駒の動かし方を懸命に読んでいる彼の顔は真剣に見えました。聞いた話ですが、彼の将棋はかなりのレベルだったようです。神童と呼ばれていたようです。

                     彼が自分から将棋の話をする事はほとんどありませんでした。私が将棋を知らなかったからかもしれない。私自身も彼の将棋には正直興味がなかった。そして私が社会人になった頃に、「高校に行く前くらいから将棋はほとんどしていない」と聞きました。私がつい先ほど見たような、彼のあの真剣な顔は中学生の時の出来事だったかと、社会人になった頃気が付いた。私はなぜかふざけて返事することができずに「もったいなかったね。」といいました。将棋をしていない理由はおそらく、受験科目に「将棋」がないから、医学部行ってからはそんな暇なかったから、だろうと思います。彼の実力を噂にまで聞いていた私は、本気で「もったいない。」と思いました。

                     そんな彼が、最近将棋をしているらしいです。なぜかうれしく思いました。でも彼は「誰か紹介してくれ。」としか言いません。そんな奴です。

                     人と人の縁は、目に見えないモノです。しかし、それ故に難しいというのではなく、私はむしろ「見えてないだけだ。」と解釈する方です。見えてないだけで、手探りでいけば、たぐり寄せれるものです。より良く「ホンダ。をプロデュース」できるのは、私ではなく「ホンダ」自身だとも思っています。ポジティブにいけば、チャンスは掴めると思う。

                     バカポジティブに生きるのは、自分を見失わない為の知恵のひとつだと最近実感しています。お笑い芸人「麒麟の田村」の著書「ホームレス中学生」を読んで、その芸術的なバカポジティブぶり、そして家族愛に感動しました。


                     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                     次回は「ホームレス中学生」、読書感想文です。

                     −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

                    〜 本日の「ポジティブに生きる!」 〜

                    「見た方がいいと思うよ。」
                    | diary | 05:15 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
                    逃亡者
                    0
                       以前、九州の首都、福岡に住んでた事があります。その時によく通っていたスパゲティー屋さんがあります。

                       そんなに広いお店ではありませんでした。カウンターと、テーブル席が4〜5席位だったかな?一人で行くことが多かった。家族で経営されている感じでした。その位の規模のお店って通いつけると、お店の人が積極的にコミュニケーションしてきて、食べるのに集中できなかったり、料理待っている間に雑誌読んだりできない。でもそのお店はそんな事もなく、かといって無愛想でもない。いや、愛想はすごくいい方でした。

                       特に話をしていなくても、よく通っているとなんとなくその「家族の雰囲気」というのがわかる。父親がコックさんで、娘さんがホール、奥さんはその両方手伝っていました。娘さんもまだ若くて、高校出てそのままそのお店を手伝っている風でした。3人でとても仲良くやっているなと思っていました。

                       私はほんとによく通っていたので、大盛りを頼んでないのに大盛りでスパゲティーが来たりしてました。毎回、アイスコーヒーも頼んでいたのですが、「今日は節約」と思って頼んでいないとアイスコーヒーを無料で付けてくれたり。でも、そんな事をされてもなんというか「押しつけ感」がなくて、すごくよかった。そして、なによりスパゲティーが美味しかった。

                       その日私は、「今日は節約」と思ってアイスコーヒーを付けてなかったら、スパゲティーと一緒にまたアイスコーヒーが出てきたので、

                      「いつもありがとうございます。」

                       と言って、顔を上げると娘さんと奥さんが二人並んで立っていて、

                      「いつもありがとうございました。突然なんですが、ここを閉める事になりました。本当にありがとうございました。」

                       もしコックさんの健康上の理由ならばそれを付加して挨拶したと思う。経営の数字が合わずに閉めますという雰囲気でした。「また、挑戦できたら何処かでやると思います。」とも言われました。突然だったというのもあるし、私はまだ大学出たてでした。いくら考えても気の利いた言葉が浮かびませんでした。

                      「そうですか、すごく残念です。」

                       もう、ありきたりのセリフを吐くので精一杯でした。改めて店内を見ると、私しかいない。私は何故かスパゲティーをこっそり食べました。そして、レジでお金を払うときに、その小さなお店の狭い厨房からコックさんが出てきたので、私は「ごちそうさまでした。」と言いました。そういえば、よく来てたけどこの方と喋った事ないな、とぼんやり考えていたら、コックさんはその狭い厨房の前で深々と頭を下げて「ありがとうございました。」と言われました。レジ横に置かれてあったレシートを受け取ると、なぜか私は逃げるように店を出ました。逃げるようにじゃない。私は逃げた。コックさんになんて言って良いのかわからずに私は逃げた。

                       それから何日かして、本屋さんで中谷彰宏氏の「自分で思うほどダメじゃない」という本を立ち読みしてました。その本の中で私の気持ちに入り込んできた部分がありました。それは、「鉄人28号」について書いてあった所です。「鉄人は28号でようやく成功した。27号までは失敗だった。」という主旨の文章でした。その瞬間、私はあのスパゲティー屋を思い出しました。スパゲティー屋:1号を失敗したコックさんが、狭い厨房の前で頭を垂れていました。

                       コックさん!まだ、大丈夫だ!次はきっといけるよ。20歳台そこそこの若造にわざわざ閉店の挨拶をする誠実さと、あのスパゲティーがあればスパゲティー屋:2号はきっと活躍する!よし、スパゲティー屋:2号、大活躍せよ!日本の何処かで!いつか見つけて食べに行く。その時は、大盛りを注文しよう。あ、そうだ。すみません、アイスコーヒーも下さい!

                       逃げた後に考えついたコメントは、逃亡者の懺悔だった。


                      〜 本日の「ポジティブに生きる!」 〜

                      「あ、君誰?」
                      | diary | 06:33 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |